美術館やギャラリーで絵を見たとき、
「これは何を表しているんだろう」
「作者は何を伝えたかったんだろう」
「どう見れば、この絵のことをちゃんと理解できるんだろう」
そんなふうに思ったことはありませんか?
絵画の見方には、時代背景や技法などを知ることで広がる楽しみ方もありますが、知識がなくても絵は自由に楽しめるものだと思います。
「なんとなく好き」
「少し怖い」
「なぜか気になる」
そんなふうに絵を見たとき、自分の中に何が起きたのか。
そこに目を向けてみるのも、絵を見る面白さのひとつだと思っています。
絵を描き、完成したあとも自分の作品を何度も見てきた中で、
私なりに「絵の見方は自由」と思うようになった理由があります。
今回は、一枚の絵を目の前にしたとき、自分は何を感じ、何に惹かれるのか。
そこから、自分なりの絵の見方を一緒に探してみたいと思います。
「自分の中に何が起きた?」から見てみる
絵を見ていて、ふと目が止まることがあります。
ここで、ひとつだけ試してみてください。
この絵を見たとき、最初にどこへ目が向くでしょうか。

少し眺めたら、
「私は、何に引っかかったんだろう?」
と、自分に聞いてみる。
形なのか、配置なのか、黒と白のバランスなのか。
何かに見えたのか。それとも「なんだこれは?」という違和感だったのか。
答えを出す必要はありません。
自分の目が自然と向いたところを追いかけていくと、
「この形が気になっていたんだ」
「よく分からないから、逆に目が離せなかったのかもしれない」
と、それまで「なんとなく」と感じていた自分の反応に、少し気づくことがあります。
その絵を見たことで、「自分の中に何が起きたのか」を見てみる。
私にとっては、それがちょっとした実験のようで面白いんです。
分からなかったら、分からないままでもいい
もちろん、見つめてみても、
「結局これは何なんだろう」
「どうして気になるのか、自分でも分からない」
ということもあります。
そんなときは、無理に理由を見つけなくてもいい。
「なぜか目が離れなかった」
それだけ覚えておくこともあります。
そのときには分からなかったものが、その後の経験とつながったり、時間が経ってからもう一度見ると、すっと自分の中に入ってきたりすることもあるからです。
だから私は、
「分からなかった」も、そのときの自分が受け取ったもののひとつとして、そのまま置いておきます。
作者の答えを当てなくてもいい
絵を見ていると、
「作者は何を伝えたかったんだろう?」
と、描いた人の意図を知りたくなると思います。
作品が生まれた背景や作者の考えを知ることで、絵の見え方はさらに広がります。
でも私は、作者が込めた意味と同じものを感じることだけが、絵を見るときの正解ではないと思っています。
たとえば、私のこの作品。
あなたには、何に見えるでしょうか。

この作品を見た方から、こんな感想をもらったことがありました。
「日の丸弁当みたいで、美味しそう」
この作品は、「日本」をモチーフに描きました。
でも、その言葉を聞いたとき、
「確かに、梅干しみたいで美味しそう」
って私も納得したんです。
自分が想像していなかった見方に出会えることも、絵の楽しいところだと思っています。
同じ一枚でも、その人がこれまで見てきたものや経験によって、浮かんでくるものは違う。食べ物に見えてもいいし、まったく違う景色や記憶につながってもいい。
だから私は、
描いた人=作品の意味を決める人
見る人=その意味を読み取る人
というだけではないと思っています。
そして、そう思うのにはもうひとつ理由があります。
描いた私自身も、完成した作品の見え方が変わっていくからです。
描いた本人も、まだ知らない見方がある
絵を描くとき、テーマやモチーフ、描きたい物語があることもあります。
でも、絵は完成しても、その作品のストーリーは完成させません。
たとえば、この作品。

描いていたときの私は、太陽のようなものをイメージしながら描いていました。でも完成した作品を見た方から、
「動物みたいに見える」
「お花にも見える」
と言われたことがあります。そう言われてからもう一度自分の絵を見てみると、それまで自分には見えていなかったものが、私にも見えてきたんです。
描いたのは自分なのに、誰かの見方を通して、自分の作品に新しい見え方が加わる。それが、私は面白い。
だから、描いたときに込めた意味だけが、その作品のすべてではないと思っています。
誰かの言葉だったり、新しい経験だったり、時間が経ったことだったり。そうしたものを通して、
「この絵には、こんな見方もあるかもしれない」
と、描いたときにはなかったものが見えてくることがあります。
作品は変わっていなくても、見る自分は変わっていく。
これは、見る人にも同じことが起こるのかもしれません。
今はよく分からなかった絵が、数年後には好きになっているかもしれない。
以前は気にも留めなかったところに、今の自分は惹かれるかもしれない。
だからこそ、絵の見方は、一回きりじゃない。
そう思うと、一度見た絵にもう一度会うのも、少し面白くなります。
あなたは、何を基準に絵を見ていますか?
いろいろな絵を見ていると、自分にも「絵を見る基準」があることに気づくことがあります。
私の場合は、自分の中にある「当たり前」を少し壊してくれるようなものに惹かれます。
ありえないもの同士が組み合わされていたり、タイトルには「象」とあるのに、そこにいるのは鼻の短い、象とは違う生き物だったり。
「え、なんで?」
と、小さな違和感が生まれるものが好きです。
以前、「美味しそうに見えるかどうか」が、好きな絵を見つけるひとつの基準になっている、という話を聞いたことがあります。
それを聞いたとき、同じものを見ても、こんなにも違う感覚があるんだと実感して、なんだかすごく嬉しくなりました。
「美味しそう」でも、
「落ち着く」でも、
「ちょっと怖い」でも、
「なんか変」でもいい。
次に絵を見るとき、
「この絵は何を意味しているんだろう?」
だけではなく、
「私は、この絵の何を見ているんだろう?」
と、自分にも少し目を向けてみる。いろいろな絵で繰り返しているうちに、自分でも知らなかった「絵を見る基準」が見えてくるかもしれません。
私の作品にも、ひとつの答えはありません
私自身、作品を描くときには、そのとき感じていたことや、景色、記憶、そこから生まれた物語があります。
でも、それを「こう見てほしい」という答えにはしたくありません。
私が見ていたものと、作品を見た誰かに見えるものは、きっと同じではない。
そして、その違いも含めて作品を楽しんでもらえたらいいなと思っています。
だから、作品を完成させたあとも、
「この絵は、これから誰かの目にどう映るんだろう」
と、私自身も楽しみにしています。
この記事も、「これが正しい絵画の見方です」という答えではなく、
自分なりの見方を見つけるひとつのきっかけになったら嬉しいです。
もしよければ、今度は私の作品を眺めながら、
「自分には何が見えるだろう?」
と試してみてください。
私が込めた物語を読む前に、まずはあなたに見えたものから。
そこから、また違う物語が始まるかもしれません。
私も、まだまだ研究中です。
Instagramでは、完成した作品だけではなく、制作途中で考えたことや、誰かの言葉で作品の見え方が変わった瞬間なども発信しています。
「この絵、私はこう見えた」というものがあったら、ぜひ教えてもらえたら嬉しいです!
▶︎ Instagramでnicoの制作を見る